日蓮宗信仰徒然

日蓮宗信仰徒然

日興師の一尊四士容認の文証

此れのみならず日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候へども、未だ木像は誰も造り奉らず候に、入道殿御微力を以て形の如く造立し奉らんと思召し立ち候を、御用途も候はずに、大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代りに、其れ程の仏を作らせ給へと教訓し進らせ給いて、固く其の旨を御存知候を、日興が申す様は、責めて故聖人安置の仏にて候はばさも候なん。それも其の仏は上行等の脇士も無く、始成の仏にて候いき。其の上其れは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ。なにのほしさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給へ候べき。御力契い給わずんば、御子孫の御中に作らせ給う仁出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候を御安置候べし。

編年体 日蓮大聖人御書、日興上人、原殿御返事)

久遠元初の文字は無い、久遠実成と書いてある。

一尊四士容認と書かれている。

日蓮大聖人が釈迦仏一体を終始御本尊としていたことは文証は山ほどあります。

清澄寺大衆中 建治二年正月 五十五歳御作

身延山にて


日蓮敵をなして領家のかたうどとなり清澄・二間の二箇の寺・東条が方につくならば日蓮法華経をすてんと、せいじやうの起請をかいて日蓮が御本尊の手にゆいつけていのりて一年が内に両寺は東条が手をはなれ候いしなり、此の事は虚空蔵菩薩もいかでかすてさせ給うべき、大衆も日蓮を心へずに・をもはれん人人は天にすてられ・たてまつらざるべしや、かう申せば愚癡の者は我をのろうと申すべし後生に無間地獄に堕ちんが不便なれば申す。

 

曼荼羅本尊には手はありません。ここでは日蓮が御本尊の手に誓状起請文を書いてゆい付けて、

とあります。上行菩薩から見れば釈迦一体仏も久遠実成本師釈迦牟尼仏と見えるのです。

御信徒が釈迦仏一体仏を作らせてお褒めになるのは当然ですね。一体仏の御前に法華経を安置すれば久遠実成本師釈迦牟尼仏となるのです。

曼荼羅は観の本尊。

釈迦仏像(一尊四士)は教の本尊。

御書を切文でなく、全体を良く読んでいれば分かります。