日蓮宗信仰徒然

日蓮宗信仰徒然

日蓮大聖人の本来の信仰とは 私見

日蓮大聖人の本来の信仰とは、今の日蓮系諸宗派の如く、反目し合うものではなかったと思う。教学面では本迹勝劣、八品派、一致派あり、多いに論議すべきだが、肝心の御書に書いてある通り、信徒には誹謗、謗法はさせないでいただきたいです。日蓮大聖人は実際、法華経一部読誦されていましたし、信徒へ方便品、如来寿量品の読誦を勧められている。本尊についても、当時の信徒の気根と言う人がいるが、釈迦像造立を褒められているし、富木殿には大黒像について以前の造立について触れているが、お叱りは無く、釈迦像造立を褒められて開眼に弟子を生かせると言っている。以下御書

「真間釈迦仏御供養逐状 文永七年九月 四十九歳御作

 釈迦仏御造立の御事、無始曠劫よりいまだ顕れましまさぬ己心の一念三千の仏造り顕しましますか、はせまいりてをがみまいらせ候わばや、「欲令衆生開仏知見乃至然我実成仏已来」は是なり、但し仏の御開眼の御事はいそぎいそぎ伊よ房をもてはたしまいらせさせ給い候へ、法華経一部御仏の御六根によみ入れまいらせて生身の教主釈尊になしまいらせてかへりて迎い入れまいらせさせ給へ、自身並に子にあらずばいかんがと存じ候、御所領の堂の事等は大進の阿闍梨がききて候、かへすがへすをがみ結縁しまいらせ候べし、いつぞや大黒を供養して候いし其後より世間なげかずしておはするか、此度は大海のしほの満つるがごとく月の満ずるが如く福きたり命ながく後生は霊山とおぼしめせ。

 九月二十六日 日 蓮花押

 進上 富木殿御返事」

 

また、曼茶羅を本尊と書いた御書もあります。以下佐渡後身延での御書

日蓮敵をなして領家のかたうどとなり清澄・二間の二箇の寺・東条が方につくならば日蓮法華経をすてんと、せいじやうの起請をかいて日蓮が御本尊の手にゆいつけていのりて一年がうちに両寺は東条が手をはなれ候いし

なり」

(『清澄寺大衆中』創価学会版御書全集、894ページ)

曼茶羅には手はありません。ここは終生手放さなかった釈迦立像の手と考えるのが普通です。

日興上人においても仏像否定はされてない。

「原殿御消息」には、大曼荼羅と仏像との関係を論じて、

日蓮聖人御出世の本懐、南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候へども、未た木像は誰も造り奉らず候に、入道殿、御微力を以て、形の如く造立し奉らんと思し召し立て候を、御用途も候はずに、大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代わりに、其れ程の仏を作らせ給へと教訓し進せ給て、固く其の旨を御存知候を、日興か申様は、責て故聖人安置の仏にて候はば、さも
候なん。それも其仏は上行等の脇士も無く始成の仏にて候き。其上、其れは大国阿闍梨の取り奉り候ぬ。なにのほしさに第二転の始成無常の仏のほしく渡せ給へ候へき。御力、契い給わずば、御子孫の御中に作らせ給う仁出来し給まては、聖人の文字にてあそばして候を御安置候べし」

日蓮大聖人は本尊について日蓮宗的おおらかな考えであったと思う。法華経一部読誦も否定どころか、頻繁に一部読誦されていました。

私見法華経に本迹勝劣あり、読誦については方便品如来寿量品だけは必須でプラスどれを読誦しても良い。謗法ではない。

本尊、曼茶羅と仏像は釈迦像もしくわ、曼茶羅と釈迦像と四脇士が正しいと思う。

あくまで、曼茶羅を隠れない安置。祖師像は僧宝で安置。

日蓮系法華各門流大道団結できないものか?

何百年本尊論争しても終わるわけない!御書にどうとも取れるように書いてある。

但し日蓮本仏論は論外異端である。