日蓮宗信仰徒然

日蓮宗信仰徒然

折伏について

 日蓮聖人の代表作(五大部)のひとつ『開目抄』に

 無智悪人の国土に充満の時は摂受を前きとす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前きとす。常不軽品のごとし。
とある。
 折伏が常不軽品の如しというところに注目して戴きたい。常不軽品とは『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』のことである。それは、常不軽という僧侶の物語である。

是比丘凡有所見。若比丘比丘尼優婆塞優婆夷。皆悉禮拜讚歎。而作是言。我深敬汝等不敢輕慢。所以者何。汝等皆行菩薩道當得作佛。而是比丘。不專讀誦經典。但行禮拜。

 是の比丘凡そ見る所ある若しは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと。而も是の比丘、専らに経典を読誦せずして、但礼拝を行ず。

妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』
 常不軽という僧侶(比丘)は、僧侶や在俗の男女に対して礼拝して「私はあなた方を深く敬います。皆さんは菩薩行をすると成仏するからです」と言って回った。この僧侶は経典を読まずに、ただこの礼拝の行をした。

創価学会日蓮正宗折伏とは違う。

反省を求める。

折伏大行進の折に道端に良く本尊が捨てられていた事実をどうみる?

正宗と創価の争いをどう思う?

正しいと言う本尊を拝み、仏性が涌現するならば、悪意の罵詈雑言は出ない筈だ!

どうやら、この御文を理解できないらしいです。創価学会の開目抄講義を見たら、この部分は飛ばし講義していた。日蓮本仏に繋げる部分しか使用しないようだ。