日蓮宗信仰徒然

日蓮宗信仰徒然

2019-07-26から1日間の記事一覧

荒業のはじまり

日蓮大聖人より、天奏を任された日像上人は長じて25歳のとき、遺命の実現を決意。鎌倉の由比ヶ浜で日蓮大聖人の数々の法難のご苦労を偲び、身を清める為、極寒の海水に入り、寒中百日間の行をして、日蓮聖人の霊跡を巡礼され、京都に向かわれた。

現証 祈雨

延文三年(1358)夏には深刻な干ばつが京都を襲ったが、大覚妙実は天皇の詔によって法華経による祈雨の祈祷をした。すると、たちまちに雨が降る霊験を示した。この功績により日蓮聖人、日朗上人(六老僧・日像の師匠)、日像上人に菩薩号を賜わり、大覚妙実自…

日像上人 天文法難

日蓮大聖人入滅の間際に帝都弘通を日像上人に託しています。大石寺の言う通りならば、何故日興上人系の人に帝都弘通を託さなかったのか?甚だ疑問である。 室町時代には京都は既に広宣流布されていました。比叡山に焼き討ちされるまでは。 僧兵おそるべし。…

日朗聖人のお弟子日像上人

日像上人の京都弘通(ぐづう) 日蓮聖人御入滅時の状況は、 弟子・信徒を合わせても数百人 東国数ヵ国に散在するにすぎない 日蓮聖人の教団は微々たる地方教団にすぎなかったという状況だったようである。日蓮聖人の教えを全国に弘めるためには、天皇のおられ…