日蓮宗信仰徒然

日蓮宗信仰徒然

嘘、捏造、洗脳、恐怖信仰の大石寺

調べると、山ほど出て来る。大石寺の嘘、捏造、歴史的に大石寺は権力と金力にめっぽう弱い事が分かります。豊臣秀吉の千僧供養、不受不施を貫いている日蓮宗日朗門流を無視して遠方から知らぬ存ぜぬ。日奥上人(対馬流罪、死後、遺骨を対馬流罪)、鍋かむり日親上人(酷い拷問)。日蓮正統を主張するならば我こそはと名乗り出るべき。山梨の金山の富が大石寺流入武田信玄に金山を押されられ、大石寺は焼き払われる。その頃京都要法寺が石見地方へ教勢拡大しており、石見銀山発見で要法寺は莫大な資金が流入要法寺に信徒を派遣して涙ながらの懇願。要法寺に助けられてそれより100年法主要法寺から迎えている。当時要法寺は造仏派である。江戸期要法寺信徒、敬台院、天英院の謗施を受け、反対する大石寺檀家に天英院は金は出さず口だけ出すと揶揄され、山ほどの黄金供養で頬を引っ叩かれ黙らす。

身延山の圧迫と幕府の朱印欲しさに、不受不施義を曲げ、受不施に転向。身池問答には関わらず。受不施になっていた。先の大戦中神社否定を曲げ、信徒に戦勝祈願に神社参詣を命令している。大石寺僧侶に権力に負けず法難にあった僧侶は皆無。皇室皇太后様に曼荼羅を送りましたが、戦勝の力無く、終戦前に皇室から神社に戦勝祈願の勅使が二度と出ている。皇室皇太后大石寺曼荼羅を見限りました。

創価教育学会の牧口氏、戸田氏が神札拒否に大石寺への被害を恐れ破門。見殺しにする。

戦後は手のひら返し、戸田氏を許し創価学会躍進で大石寺は潤い、気に食わないので、創価学会破門。700年大石寺は何をやって来た?権力の迫害に屈せず、不受不施派は耐え明治に復活している。創価学会も戦後復活している。

大石寺は権力には隠れて、嵐が去るとのこのこ出てご高説を言う。常に後出しジャンケンだ。

今や日有、日寛の日蓮本仏をふりかざし、嘘、捏造、洗脳、罰の恐怖信仰を押し付ける宗派となる。法主とは日蓮聖人ただ一人。あとは管長だ。日興上人。以降どれだけ分派している?

大石寺も何十回も丸焼けになっている。

相承せず逃げた日盛、焼け死んだ日恭。

あり得ない事ばかり。呆れる。